
About Pluse-One?
この『誰でも塗り絵』システム開発者(発案者)のPluse-Oneです。今年65歳(一応、高齢者=年金受給中)になった自覚があまりない高齢者です。ただ、運だけは非常に良い人間みたいです。今まで、生きてきた中で、お医者様には、2回ほど『運が良い/不思議な人』と言われたのでそうなのかなと自分でも思っています。
一度目は、12年前に脳腫瘍(良性)の手術を受けたDr. 『放っておいたら歩けなくなる。早く取らないとダメ!私と出会えたのがラッキー!』
二度目は、脳のMRI(今年=2023年)を受診した主治医のDr. 『後遺症もなく、生きているのも奇跡!医学的に説明がつかない。』
全く後遺症もなく、片方の耳が聞こえないだけですが、目まいもなく普通に暮らせております。ただ、97歳になる母親をワンオペ介護しているので、絶対に倒れるわけにはいかない!と言う、気合だけは入っています。
私の経験は、普通の人よりは、かなり面白い人生を歩んで来たようです。たくさんの裏話もあるのですが、どこまで、思い出せるかは自信がありませんが、出来る限り書いて行こうと思います。先ずは、履歴から・・・・
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- 大学を出てから、外資系の輸入スポーツ用品メーカーの営業(担当はスキーと登山用品)マンとして、好成績を残して活躍(約8年)
- 生命保険会社に転職(サラリーマンから⇒フルコミの個人事業主)し、ここでも、好成績を残して(7年)代理店独立(起業)。この時にPCを独学で勉強。
〇フルコミの悲哀は、たくさん見ました。前職では、それなりの会社の地位にあった人とかが食えなくなるとかたくさんいましたね。 - 独立(起業=会社設立)時に、初めは、パソコン通信・その後インターネットが普及しはじめ保険のの探客(見込み客発見)や営業にPCを駆使することを思い付き様々なシステムを開発し、データをクリーニングして販売するビジネスへと特化。⇒IT業へ転換。
- 2011年(なでしこジャパンが優勝した年)に、脳腫瘍(良性)を発症し手術・会社を休眠し、実家に帰り、高齢の両親の介護(ワンオペ介護)をリモートワークしながら、『誰でも塗り絵』を開発
*【主な開発商品】
【インターネットが普及前】
・パソコン通信からデータを取得するシステム
【インターネットが普及後】
・電話番号でアナログかINSかを判別するシステム
・電話番号で通信キャリアを判別するシステム
・インターネットから電話番号を基に、企業の住所やFAX番号を探し出すシステム(スクレイピングして抽出)を開発。
その後ソフトを販売。⇒Yahooオークションでコピー品が出回ってしまう
・FAX一斉同報送信システム(海外から一斉配信など)1日20万件(ミニタワーサーバー1台当たり)
1. スポーツ用品の営業マン(ルートセールス)時代(20代)
デッドストックの山
たまたま入社できたスポーツ用品メーカーの営業所(大阪)では、担当がひょんなことからスキー用品になってしまいました。
そのメーカーでは、営業所長の方針で新入社員は全員、商品を覚えるために、入社後半年間は、倉庫業務。要は、自分がこれから販売する商品を手に取って覚えられると言う事でした。
ただ、そこには、売れなくて何年もの間デッドストックになっているモノもたくさんありました。その中でも、スキーのアルミダイキャスト制のビンディング(スキーとブーツをつなぎとめるもの)が大量に、売れ残っていたのです。それを、綺麗に整理をしてくれと倉庫の人に言われたので、やっていたのですが、『とにかく、重たすぎる!!』何年も前のモデルだから、箱も古くなってるし、積み上げることが出来ない。
作業日報に書いてしまった
『重たいし、堅牢だけれども格好良くないデザイン、しかもドイツ製のためか、名前もイマイチ日本人受けしないし、売れそうもない』と感じてしまったので、そう言った感想をさらっと書いてしまったのです。一応、学生時代にスキーをやっていたので、わかった風なことを書いたのでしょうね・・・。その内容が気に食わないと営業所長が激怒!すぐに、明日から、営業所へ来いと呼びつけられました。
それを持って売って来い!
結局、翌日に営業所に出社したら、売れ残った重たいビンディングと売れ残りのスキーウエアをバッグに詰め込んで、「どこでも良いから売って来い」と放り出されてしまいました。一応、ルートセールスですが、今まで取引のないスポーツ用品店を地図で調べて、片っ端から訪問してました。
お前の会社はここが悪い!!=ひたすら聞いてたら売れた!
当時は、まだスキーの専門店や大型安売り店や町の運動具屋さんもあったので、毎日、片っ端から飛び込み営業を繰り返すことに・・・・。真夏だったので何処のお店も暇なので、とにかくよく話をしてくれた(会社の悪口を聞かされた)のを覚えています。とにかく、『オマエの会社のここが駄目だ!』と言う話ばかりで、それをひたすら聞かされてました。
要は、「お前の会社の商品は、大型安売り店でたたき売り(安売り)される」から扱う事が出来ないと異口同音に皆さんが言うわけです。ただ、そこまで話を聞いてくれるのは、他のメーカーにも全く居ない!し、お前だけと言ってくれるようになり、可哀そうだと言って少しずつ買ってくれる小売店が出来るようになりました。
商品のダメ出しもメチャクチャされました。当時のヨーロッパの商品は、イタリアやフランスの製品はおしゃれ(カッコイイ)だけど、主に扱っていたドイツ、オーストリアの商品は、日本人受けしなかったんですよね。客先の意見を素直に受け入れる(聞き上手になる)と言う事を肌で感じる事が出来、又、顧客の欲しがっているモノじゃないと売れない(引き出し上手になる)と言うのもその時知りました。
100杯のコーヒーより1杯の酒!
スキー用品(ルートセールス)の部隊に配属され、担当は、大阪以外の西日本(兵庫、京都、滋賀、和歌山、奈良)+ 九州や、中・四国まで担当。市場の大きい大阪と北陸は、一つ年上の先輩が担当・・・。
とにかく夏場に、売れ残りのスキー用品の販売と来季モデルの受注をしてこいと言う指示だったので、汗だくになりながらの営業の繰り返し。山陽、山陰地方はキャラバン(車での長期出張10日間位)
当時、ある先輩に言われたのが、(特に山陽道や九州方面は)営業するなら、酒が飲めないとダメ→『100杯のコーヒーより1杯の酒!』さらに、マージャンやゴルフの付き合いも必要・・・。今では問題になるでしょうが、当時のマージャンは、レートが大きくなる3人打ちとかも当たり前のようでした。代理店の中堅幹部クラスの人達は、お客さん(小売店の幹部)とお酒を飲み、マージャンやゴルフをするのも半分仕事みたいな感じでした。 運よく、私は、お酒は1滴も飲めないし、マージャンもギャンブルも全くしませんでした。ゴルフも少しだけ。 だから人と違う営業スタイルを構築できました。 *その時の経験を教訓にして、いまだに、お酒もギャンブルもやりません。
『酒は飲めなく(飲まなく)ても、売れる』と言うのを実感
付きあいとかしがらみ(要は酒やマージャン+ゴルフの付き合い)があるから買うと言う『旧態然』とした営業スタイルが、横行してました。
そんなものは、全く意味をなさなかったと言うのが、年月を経て、今になって経験としても分かりました。
そんな言葉より、『聞き上手、引き出し上手、褒め上手になる』と売れたと言うのが、今になって実際の経験で証明してくれました。
トップセールスマンになれたのは・・・!
2-3年もすると酒も飲めないし、マージャンも出来ないけれど、本当に良く売れました。多分、まじめで、粘り強く、お客様の話を聞いていたと思います。
さほど自社商品には、魅力があったわけでは無いのですが、とにかく『お客さん(小売店)の話を聞く』ことに専念してました。
また、当時は、スキー人口も多く、市場も非常に大きかったので、スキー用品店も人手不足のため、夕方になると(仕事終わりに)、会社近くの小売店や自宅近くのスキー専門店に販売応援に行くと言うのも日課でした。土日も、11月、12月、1月は、休みなく小売店の店頭に立ってました。こうやって、販売応援に行く事で、お店の方々に顔を売り、自社の商品も覚えてもらえるので、店頭での自社商品の消化率(販売量)も安定して増加と言う好循環が生まれてました。販売応援に行って、商品を売ると言うのは、当時は貴重でした。人気のあるライバルメーカーの商品でも平気で売ってました。そうすると、お店での評価も上がり酒は飲めなくても、営業時間中に店員さんとのコミュニケーションが取れると言う事も出来ます。また、店頭に立つことで市場動向などの様子を伺う事もできるので、様々なアイデアも閃き、色んな戦略も浮かんだものです。
『営業マンに、評論家は要らない!売ればいいんだよ!』⇒会社を辞めるきっかけに・・・
トップセールスマンとして入社以来何年もの間、頑張って来たのですが、スキーの来季モデルの商品開発には一切、耳を貸さない営業部長さんの一言で会社が嫌になったのです。
スキーは季節商品なので、来季モデルの商品開発は、前年の夏までに、商品会議を東京の本部でするのですが、末端の営業マンの言う事は、全く聞こうとしない。特に営業所のセールスマンの言うことなどは、一切無視。スキー用品は、主にオーストリアなどからの輸入品なので、そのメーカーへのデザインや仕様などの要望(海外へ提出する要望)は、本部のある東京の部署だけで決めてしまう。大阪の営業所の事など全く聞く耳を持たない。会議には、末端の大阪の営業マンは出席もさせてくれない。ただ、一番の営業マンだったんですけどね。
ある年、大阪から唯一会議に参加した課長さんは、営業部長から『営業マンに、評論家は要らない!売ってくればいいんだよ!』の一言で終わらされてしまう始末だったらしい・・・。全く、聞く耳を持たない人でした!
この言葉を聞いた瞬間に、会社を辞めると決めました。一応、全国的に見てもそれなりの営業成績は出していたし、小売店の意見やエンドユーザーの動向などは、会社の中では、それなりに分かっていたので、その意見を一切取り上げてくれない会社は見切るしかなかったのです。『営業マンに、評論家は要らない!売ればいいんだよ!』と言う言葉は、一番つらかったですね。絶対に辞めてやると、決めました。この言葉は、40年程たった今でも、脳裏に焼き付いています。
売れ残ると、決算対策の在庫一斉セールで、その部長さんが大型安売り店にたたき売りして(今までの利益が吹き飛んでしまう)、すがすがしい顔になるのも嫌でした。
『〇〇を美人にして売るのは、もう限界』
その頃、よく大阪の営業所では、『〇〇を美人にして売るのは、もう限界』と言う言葉が口癖みたいになってました。
外国製品も、日本市場向けに売れるスキー用品を作るなら、日本市場を分析して商品を作らなければ売れません。市場の意見を聞き、そしてそれをどう商品にして行くかを考えなければなりません。でも、一切、日本市場に合わせた商品を作ってもらえない。 来季モデルの、小売店向けの受注会(展示会)では、私たち末端の営業マンは、『日本向けに作ったからカッコいいでしょ、売れますよ』と必死に口説くわけです。『これって、本当にカッコいいと思う?おしゃれだと思っているの?』と受注会(展示会)で、お客様に言われる始末。 それでも、必死になって『〇〇を美人にして売る』わけです。ある程度は、日々のお付き合いと粘りと根性で、売るのですが・・・。当然、部長さんが思うような数は売れない・・・。
市場の動向が良く分かっている末端のセールスマンの意見も素直に聞き、引き出すのはとても重要なのです。売れない原因を素直に受け止め、受け入れる(=聞き上手、引き出し上手になる)のは、重要です。
*今も経営者の方や、幹部の方は、市場を知っている末端の営業マンの言う事に、全く耳を傾けない方もいらっしゃる様な気がします。売れる商品を作るなら、聞き上手/引き出し上手/になる事は重要です。そして褒め上手になる事。もちろん、売れないことを商品力のせいにする営業マンの言う事は気にする必要はありません。ただ、決定権のある自分がが考える事が、すべてだと言うのはよろしくないと思います。
『会社を休みたければ、風邪を引け!、熱を出せ』
土日に販売応援に行っても代休が取れず、『会社を休みたければ、風邪を引け!、熱を出せ』と言うのが、先輩のアドバイス。
本当に、身を粉にして働いていたのですが手が足りずに、休んでる暇もありません。病気になって休むくらいしかありませんでした。その先輩は、たまに会社をそう言う事で休んでました。
何事も前向き(自分にとってプラス)に捉える癖
平日の夕方の販売応援に行くお店(スポーツ店)も、会社から徒歩20分以上かかるのですが、トレーニングになると前向きに捉えて、いつもそこまで走っていく(往復30分)事にしてました。このころから環境を、前向き(自分にとってプラス)に捉える癖がついたと思います。
また、電車で帰る時間が無い(終電にも間に合わない)のがしょっちゅうで、お酒を一滴も飲まない、一番家の遠かった(真っ直ぐに帰っても車で1時間)私が、会社の車を運転して上司や先輩を送り届けてから、自宅に帰って、数時間寝て、又、朝一に車で出社の繰り返し。居眠り運転も良くしてたのですが、良く過労死しなかった(運も良かった)ものです。 ただ、スポーツ用品(大好きなスキー用品)を扱うと言う仕事が楽しかったと言うのが頑張れた要因です。
『俺が注いだこの酒(ビール)を飲んだら一口入ってやる』と言う言葉
スポーツ用品を扱う会社は割とノリが体育会的な方も多く、会社の慰安旅行で、酔っぱらった上司に『酒を飲めないと言う事で、頭からお酒を掛けられた』り、結構ひどい仕打ちもうけました。
生命保険会社に転職(離職)する時も、送別会の宴会場で、バカな上司に『俺が注いだこの酒を飲んだら一口入ってやる』と言われたのですが、絶対に飲みませんでした。
もちろん、保険の営業にも、行きませんでした。今なら、完全なパワハラ(アルハラ)でしょうね。
こんな言葉や、頭からお酒を掛けられた体験などは、その後の人生ではメチャクチャプラスに作用してくれました。
実際、貴重な時間をお酒に使い過ぎて、人生を無駄にしてしまったと言う人をたくさん見てきました。パワハラめいたことをしていた人は、その後の人生も上手くいかなかったようですね。もう、この年になると結果も見えてしまってます。
2. 生命保険会社に転職(30代)
ライバル会社の営業マン(半年ほど前にスキー業界を退職)をしていた人が地下鉄の駅で偶然再会。彼は生命保険会社の営業マンになってました。
喫茶店でコーヒーを飲みながら保険の話を聞く事のはずが・・・。 『良かったら、うちの会社に来ませんか?』
その後も何度も、保険の加入手続きで会う事になったのですが会うたびに『良かったら、うちの会社に来ませんか?』が彼の口癖に・・・
『自分で作ったものをそのお客さんに合わせて販売できる!』
今まで、一生懸命に売れにくいものを必死になって『〇〇を美人にして売る』をやって来たのですが、
お客様のニーズに応じて自由に設計して販売する(ニードセールス=オーダーメイドセールス)事が出来ると言う言葉に、めちゃくちゃ魅了されてしまいました。確かに、彼は営業所長になっていて、自分の営業所の職員を増やさないと食っていけない報酬スタイルみたいで、とにかくリクルートの言葉が上手かった。
彼のニーズは、営業所のメンバーを増やす事、コチラはとにかく、自分で売れるものを作って売りたい(もう、会社を辞めたい)と言う願いがマッチし、結婚僅か数か月で退職。しかし、彼のリクルートの言葉には裏があった。
『退職金のうちのわずか10万円ちょっとでセミナーを受けろ!』
始めて出社した日から連日、リクルートした彼(営業所長)は、このセミナーを受けないと保険は売れない!受ければ、売れると執拗な自己啓発セミナーの勧誘!が待っていました。生命保険なんて売れるか心配だし、フルコミの不安もあったので、渋々、退職金の一部をはたいてその自己啓発セミナーへ行く事に・・。
もちろん会社とは関係なく、自分の意志で行くと言う話し。
『セミナーは、何の役にも立たないかったけど、自立する事が出来た』
セミナーに参加したら、なんと会社の営業所長さんが、セミナーのトレーナーになってました。セミナーでは、ほとんどの参加者がマインドコントロールされたようでしたが、私は全く冷めた目で4日間を過ごていました。
結局、転職自体が営業所長の地位向上のために利用されたようなものですが、全く影響を受けず、一人で必死で勉強して営業することで成績も上げていく事が出来ました。